クラフテッドWorldへようこそ

HP上で私が書いて行く内容は、年代別に順を追ってお話をするわけではないので、判りづらいところも多々あると思います。少しでも全体の流れをご理解しやすいように、当時の最上級コンポ「シュパーブ」に焦点をあて、時代を区分してみました。これより以前の70年代前期さらにそれ以前の時代については、私もまだ入社しておらず、話の種になるような話題も自分自身ほとんどありません。このへんをご理解頂いて、このコーナーを読んでいただければ、幸いです。


サンツアーストーリー

 

第6話 『エアロ化時代の申し子 トップマウントシフトレバ―』

前回にも述べましたが、エアロ化ブームは多岐にわたって、部品に反映されましたが、今回はシフトレバーのお話です。
ダウンチューブの左右に配置されていたシフトレバーも、これまた空気抵抗の妨げになるとの理由で、ダウンチューブの上側にちょうどウサギの耳のように並べて配置される物が出てきます。専用の直付け台座を使用したものや、バンド締めのものまで、種種出てきます。サンツアーに関しては、丁度その頃、ある自転車マニアの東大生から、あるアイデアが持ちこまれます。今「アイデア」と言う表現をしましたが、厳密には「思いつき」と言った方が正確でしょう。この解釈の違いが、この後、後述されるような、小さな“トラブル”を引き起こします。

サンツアーの「トップマウント」タイプのシフトレバーの開発にあたっては、前にも述べましたが、「単にダウンチューブの上に配置しただけでは、何も“サムシング ニュ―”が無い」わけで、それだけでは上層部の納得は取付けられません。タイミング良く上述の東大生からの思いつきアイデアが、営業部より提案されます。それは、「右(リア)レバーの動きに呼応して左(フロント)レバーが連動して、フロント変速機を動かし、リア変速の際にフロント変速機にチェーンが接触して発生する不快なタッチ音を無くす」と言うものでした。この誠にいやらしいシステムを設計し、商品化するように“黒(?)羽の矢”を立てられたのが、私でした。結局、右レバーの軸部にカム機構を付け、左レバーが前後にスライドするようにして、商品化したわけですが、多くの問題点が有り、量産には相当苦労したのは事実です。その辺の細かい突っ込んだ話は読者の方々にとって、あまり面白くないと思いますので、省略いたします。


勿論、このシステムと構造はサンツアーのパテントとして出願されました。ところが、製品化の後、例の東大生から、クレームがついたのです。彼曰く「アイデアを横取りされた!」ということでしょう。裏を返せば、ある程度のアイデア料もしくは、報酬があってもよいのではないか、と言ったところでした。ここで、前述しました「アイデア」と「思いつき」の違いの話になります。物を商品化したり、パテントを取得するためには、具体的で、論理的な構造、システムの説明が有る事が絶対条件です。例えば、「雨が降ってきたら、自動的に洗濯物を軒下に収納してくれる物干し竿があったら、便利!」 これは単なる思いつきです。この程度の思い付きなら、皆だれでもできます。ここから1歩踏み込んで、それじゃあ!どういうメカニズムにしたら、それが可能になるかという工夫が必要になるわけです。例の東大生の件は、もうお解りの通り単なる「思いつき」で終わってしまったのです。しかし、サンツアー側も製品化の折に、彼にちゃんと説明をしておけば、クレームも無かったと思いますが。
<写真1>は発表当時の初期デザインのものです。格好は良かったのですが、シフトの際、レバーとフレームパイプの間に指が挟まるという理由から、すぐにレバー形状が変更になります。(写真2が、変更後のものです)初期型は生産数も少なく、主に欧米への輸出が先行したため、国内での残存数も極めて少ないです。

<写真2>は改良後のモデルです。後に、概観上変わらないけれど、左右のレバーがシンクロしない格好だけの廉価版も登場します。













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