クラフテッドWorldへようこそ

HP上で私が書いて行く内容は、年代別に順を追ってお話をするわけではないので、判りづらいところも多々あると思います。少しでも全体の流れをご理解しやすいように、当時の最上級コンポ「シュパーブ」に焦点をあて、時代を区分してみました。これより以前の70年代前期さらにそれ以前の時代については、私もまだ入社しておらず、話の種になるような話題も自分自身ほとんどありません。このへんをご理解頂いて、このコーナーを読んでいただければ、幸いです。


サンツアーストーリー

 

第10話 『自転車教室とル・シクル誌と私』

フランスに「LE CYCLE」(ル・シクル)というスポーツ自転車の専門誌があります。1891年創刊で現在でも刊行され続けている伝統的な雑誌です。現在は印刷技術等の進歩もあり、カラーの写真が多くなっていますが、1960年代頃までは白黒写真が多く、さらにイラストも多く見られました。自転車やそのパーツの紹介はむしろ白黒写真よりイラストの方が、細密で、構造等も良く判り評判が良かったようです。当時の有名なイラストレーター「ダニエル ルブール」のイラストなどは別にイラスト集として発刊され、日本国内のマニアにとっても、必見の一冊となりました。






 

この雑誌に掲載されていた緻密、細密なイラスト類は当時の私たち(開発セクション)の者にとっても貴重な資料、データであり、重宝なものでした。アイデアに詰まったり、またパテント(特許)上の問題、特にシマノ、カンパニョロとの係争に関しては、重要な情報源でもありました。当時のサンツアーには「自転車教室」とよばれた部屋があり、この種の資料が大量に保存され、閲覧できるようになっておりました。なかでもこの「LE CICLE」誌は創刊からほぼ全て揃っておりました。発刊当時は見過ごされていたような小さな片隅のイラストでも、当時そのアイデアが存在し、すでに商品化されていた確固たる証拠になりえます。当時シマノに比べて規模の小さな会社であったサンツアー(マエダ工業)がパテント(特許)や新製品開発競争で真っ向から渡り合えたのは、この資料群による所が大きかったと言えます。

 

当時の自転車業界の新製品開発競争は激しい物があり、たくさんの人がいろんなアイデアを出し、それらを具現化(商品化)することも頻雑でしたが、その多くは昔のアイデアの焼き直しだったり、すでにかって商品化されたが、時代に合わなかったり、技術的な未熟さゆえに問題が発生し、消えていったものの再現でした。当時 自分たちの考えていたアイデアが本当に新しいものであるのか、また、過去のアイデアの延長線上にあるのか、また既に他のメーカーのパテントになっていいて、アイデア自体をボツにしなければいけないのか・・・それらの結論を得る為に、この「自転車教室」に数時間閉じこもりきりの日も多々有りました。

 

サンツアー退社時に私は、この「LE CYCLE」誌に掲載されているイラストを全部コピーさせてもらいました。その数は厚さ4cmのファイル7冊分、約2000部です。最近はあまり開く事もないファイル群ですが、先人達の知恵が詰まったイラスト集はある意味凄みさえ感じられます。

 

新しい物を考え、造ることは古き物を知ること、先人の知恵を尊重する事から始まると思います。最近はインターネット等の情報ソースが発達し、必要な情報は楽に早く得られるようになりましたが、逆に情報ばかりが先走りして、ユーザー軽視また、ユーザー、市場を実験台、モルモット代わりにする商品も多く見られます。「とりあえず造って、悪いところがでてきたら改良しましょう」という安易な風潮が多く見受けられます。泣きをを見るのはいつも消費者、ユーザーばかり・・・かくゆう私もかって時間に追われ、見切り発車した開発商品は数知れず・・・

私は、そんな自責の念とフレーム製作側の立場から、ユーザー、お客さん側に味方したショップ経営者でいたいといつも思っています。ゆめゆめ、メーカー、問屋の口車には乗らない・・・彼らにとっての「嫌われショップ」になれれば本望です。








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