今から思えば、サンツアーの歴史は「スラントパンタグラフ」で始まり、「スラントパンタグラフ」で終わったような気がします。1963年に開発されたこの画期的な「スラントパンタグラフ機構」は25年間のパテント(特許)保護期間を過ぎる1988年頃まで、サンツアーの屋台骨として、サンツアーを支えてゆきました。
パテントの有効期限が切れる2〜3年前から準備を重ね、この時を待っていたかのようにシマノ、カンパ両社はパテント切れと同時に自社の変速機を「スラントパンタグラフ」にしてきます。これはこの機構が現在ベストであると認められた結果ではあります、言い換えれば、「スラントパンタグラフ」が世界のスタンダードになった瞬間でした。この屋台骨が侵食され始めてから数年の間に、サンツアーは急速に元気を無くして行きます。
この大きな「屋台骨」に頼りすぎたサンツアーに比べ、変速システムで長年苦労をしたのは、シマノとカンパニョロ社でした。中でもシマノは「スラントパンタグラフ機構」を使えない為、変速機の性能を向上させるために相当の苦労があったようです。後にパテントが効力を失ってから、その苦労が大きく生きてくる事になります。
現在は変速の効率は変速機以外にチェーン、スプロケットギヤとの3点で総合的に考えられ、設計、製造されていますが、当時は変速機にのみ変速効率向上が求められていました。スラントパンタグラフを手に入れたサンツアーに比べ、シマノは他の面で変速効率向上を目指さなければいけなかったのです。
国産変速機の初期の時代にこういう背景があった事をご理解いただきながら、以下の話を読んでいただければ、幸いです。
ここにA5版サイズの小冊子があります。写真の物はコピーですが、当時一冊¥100で販売もされていたようです。表題は「外装変速機の全て」です。変速機の効率に関する理論や、変速機の構造などを比較分類、解析したもので、前田鉄工所(マエダ工業・・サンツアー)が発刊しました。これは当時“旅とサイクリスト”(現在のニューサイクリング誌の前身)に昭和41年〜42年に連載されたものを収録したものです。
内容はちょっと専門的になりますが、当時この小冊子で最も勉強したのは皮肉にもあのシマノ工業の開発陣だったということです。
この内容は現在でも通用するもので、私自身も“裏技”を使わなければ解決できない場合にこの理論を根底に考えます。たとえば、コンポーネントメーカーを混同して組上げたり、変速機のキャパシテイを超えて作動させたりする場合です。
ご興味がある方はご希望があれば、この冊子のコピーをお作りします。頂く費用はコピー代実費のみです。(送料はかかりますが・・・)